芭蕉の句の意味を聞いて感じたことは?・・(^_^;)

こんにちは・・(^◇^)

私は、今朝のうちにサンタ猫の49日の満中陰のお参りを仏壇前で終えました・・(^◇^)

そんな後で、昨日の住職の法話で話された話を思い出しました・・(^◇^)

埋火という季語の入った短歌を?思い出しました・・(^◇^)

積もりたる雪を払ひて南天の埋み火を妻は燃え立たせけり

炬燵のない我が家では、埋火ということさえ知りませんでしたが?

雪に隠れていた南天の赤が、ぽっと目に飛び込んできた内容を歌ったものなんですね。

灰を雪に、南天の実を火に比喩したものだったんですね。

その歌を大題に、松尾芭蕉のこんな歌も紹介されました・・(^◇^)

埋火も消ゆやなみだの烹(にゆ)る音

これは、芭蕉が一人息子を亡くした友にだしたお悔やみ状に添えられた句だったんですね。

友人が封を切っても長い巻紙で、初めから終いまで、何も書いておらず、ただ最後に一句書かれていたのが上の句なんですね。

だから句の意味は、帰らぬ子を思ってこぼす涙がその埋火に落ちてジュッと音を立てている光景を詠んでいるんですね。

巻紙の空白は、あなたの心中を思えば、御慰みする言葉もないと何も書かずに気持ちを表したんでしょうね。

私は、その話を聞きながら、癌の再発で落ち込んでいる今の妹の気持ちに寄り添うのは、思い付きの言葉で、慰めるのでなく、ただ黙って、傍に居ってやることではないかなあと教えられたように思いました。

今日は気分転換も兼ねて、3時ぐらいから、奈良市街に出て、何も考えずにうろつきますね。

そして、7時からの京終サロンの勉強会に参加しますね。

今日も良い日でありますように・・(^◇^)

 

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